日産アリアにつながる過去・現在・未来
電気自動車の普及へ。日産のチャレンジ
Vol.1「日産アリア」へと
つながる、日産EV開発の歴史。
2021.06.15
文:清水雅史2020年、「日産リーフ」はデビュー10周年を迎えた。そしてニッサン インテリジェント モビリティの象徴といえる「日産アリア」の発売を目前に控えたいま、日産EVの過去・現在・未来を俯瞰するシリーズを連載でお届けしたい。第1回は、電気自動車の実用化、性能向上に重要な意味をもつ、「電池の進化」にスポットライトをあてながら、日産によるEV開発の歴史を振り返る。
「たま電気自動車」を1947年に発売以来、日産は電気自動車の進化において大きな役割を果たしてきた。長年にわたり研究・開発に奮闘し、クルマを快適に使える環境も整備することが、理想のゼロ・エミッション社会づくりに貢献するのだと、強い意志を持って取り組んできた歴史が、「日産リーフ」、そして「日産アリア」という未来につながるクルマを生み出したと言ってもいい。
初めて電気自動車の可能性を示した
「たま電気自動車」
<たま電気自動車>
全長3035mm、全幅1230mm、全高1618mmと外観はコンパクト。
日産初のEVは、1947年に登場した「たま電気自動車」である。立川飛行機から派生し、のちにプリンス自動車工業(1966年に日産と合併)となる東京電気自動車が製造した。終戦直後の日本は深刻な石油不足の一方、水力発電による電力には相対的にゆとりがあった。そこで戦後復興を支える輸送手段として、電気自動車が脚光を浴びたのだ。
国もその普及を奨励したことで、数多くの新興メーカーがEV開発を手がけるなか、「たま電気自動車」はタクシーなどに使われ、群を抜いて生産台数を伸ばすことになる。その理由は優れた走行性能にあった。「たま電気自動車」は、現在の経済産業省にあたる商工省の性能試験で、カタログ性能を上回る航続距離96.3km、最高速度35.2km/hの好成績を収め、他車を引き離した高性能が評判を呼んだのである。
「たま電気自動車」は、車体下部に鉛蓄電池を二分割して搭載。現在のEVのように車両に直接給電するほか、走行後に充電済みの鉛蓄電池と載せ替える方式を採用していた。同じコンポーネンツを使用してトラックも用意されたほか、’49年にはふた回りほど大きな「たまセニア」も追加されている。しかし、’50年に朝鮮戦争が始まると、その影響で戦略物資だった鉛の価格が高騰しバッテリーの供給に影響が及ぶ。その一方でガソリンの供給状況が好転したため、電気自動車はこの時代における役目を終えフェードアウトしていく。
<たま電気自動車 鉛蓄電池>
搭載される鉛蓄電池は取り外しが可能で、
出力は3.3キロワットだった。
世界で初めてリチウムイオンバッテリーを
搭載した「プレーリージョイEV」
<プレーリージョイEV>
ノルウェーのニーオルスンに位置する国際観測ステーションで活躍。
再び電気自動車の存在がクローズアップされたのは、’60年代半ばのことだった。高度経済成長にあわせて、日本にもマイカーブームが到来する。そしてモータリゼーションの進展とともに、自動車の排出ガスなどによる環境問題への意識が高まった。さらに’70年代にはオイルショックが社会に暗い影を落とすと、電気自動車の可能性を探る動きが活発になる。
日産も’73年に2人乗りトラックのプロトタイプ「EV4-P」を開発し、通産省工業技術院プロジェクトに参加するなど開発を積極的に進めたが、その後大きな転機となったのは、高密度・軽量・長寿命という特性をもつ、リチウムイオン電池の登場だった。リチウムイオン電池は、’90年にソニーが世界で初めて商品開発に成功し、携帯電話のほか、8ミリビデオやパソコンなどに幅広く使用されるようになる。
日産は自動車への搭載をいち早く検討し、’92年にソニーと共同開発をスタート。’95年にはその成果となるコンセプトカー「FEV-II」を東京モーターショーに出展した。当時からハイブリッド車にはニッケル水素電池が使われていたが、応用性・可能性に優れるリチウムイオン電池の採用を決断したことが、以降の日産のEV開発を大きく前へ進めることになったのである。
そして’97年に、リチウムイオン電池搭載車「プレーリージョイEV」を世界に先駆け、主に法人向けリース販売を開始する。エンジンの排熱や排出ガスが調査データに影響を及ぼさないゼロエミッション車は、気象観測にうってつけだったこともあり、「プレーリージョイEV」は国立極地研究所北極観測センターの支援車として活躍。厳しい気象条件下で全く故障もなく6年もの間使用され、信頼性の高さを証明した。また、2000年には全長2.7m に満たない2人乗りのEVシティコミューター「ハイパーミニ」を発売。環境にやさしく、利用者の利便性を重視した新しい交通システムを構築するための社会実験プロジェクトなどにも活用されている。このようなリチウムイオン電池搭載車を販売することで、日産はEVの普及に必要なノウハウを着々と蓄積していく。
<ハイパーミニ>
2000年には2人乗りの超小型EV
「ハイパーミニ」を約400台販売。
横浜・MM21地区での「都心レンタカーシステム」、海老名市での共同利用システムによる「パークアンドライド」の社会実験もそれぞれ行われた。(画像は2000年、横浜市の様子)
<リチウムイオン電池(筒型)>
「プレーリージョイEV」や「ハイパーミニ」は、筒型リチウムイオン電池を搭載。
電気自動車をより身近なものにした
量産型EV「日産リーフ」
<日産リーフ>
優れたパッケージングで、居住性と大容量バッテリーの搭載を両立した。
21世紀に入るとパソコンや携帯電話の普及により、リチウムイオン電池の性能はさらに向上する。なかでも携帯電話用のバッテリーは、できるだけ小さく、そして長持ちし、充電時間が短くて済む、というように求められる性能が非常に高い。また、たくさんの人々が使うから信頼性の追求も不可欠だったのである。まさに携帯電話ブームが、リチウムイオン電池の進化を後押ししたとも言える。
「プレーリージョイEV」や「ハイパーミニ」には筒型リチウムイオン電池が搭載されていたが、日産は最新技術を用いることで、よりコンパクトかつ大容量化が可能な、ラミネート型リチウムイオン電池の開発を、携帯電話の開発等で技術を蓄積していたNECと共同で進めた。そして2005年の東京モーターショーに、ラミネート型リチウムイオン電池を、世界で初めて搭載した次世代電気自動車のコンセプトカー、「ピボ」を出展する。
その後も、先行開発用に製作した実験車両でテストを積み重ね、2010年12月、世界初の量産型EV専用モデル「日産リーフ」を発売した。「日産リーフ」は高い静粛性と優れた加速性能、ハンドリング性能を備えたゼロ・エミッション車として高い評価を受け、電気自動車では初の欧州カーオブザイヤーをはじめ、ワールドカーオブザイヤー、日本カーオブザイヤーなどに輝いている。
<リチウムイオン電池(ラミネート型)>
電気自動車を飛躍的に進化させたラミネート型
リチウムイオン電池。
「日産リーフ」はその後も改良を繰り返し、航続距離を伸ばすとともに、さまざまな制御技術を発展させ走行性能を向上している。また、高速道路のサービスエリア、道の駅、コンビニエンスストア、宿泊施設などへの充電器の設置が進むなか、日産はEVで気軽に出かけることのできる環境の整備にも関わっている。そこには電気自動車の世界を常にリードし続けてきた日産の「EVで挑戦する姿勢」を見ることができるが、次回は「日産リーフ」の誕生から10年のEV普及に向けた取り組みを紹介する。